BIRTHDAY LIVE 2
2003/6/29
2夜目、拾得に着いたら仲さんが座ってはる。
え?!今日はドクター兼松さんとのステージのはず。
バンドじゃないのにどうして?聴きにきはったんやろか?と思ったら
「昨日帰ってないんですよ」とのこと。
控え室のある2階から、続々とメンバーのみなさんが降りてきはる。
見当たらないのは晴三さんだけで、代わりにゲストのドクター兼松さんの姿が見える。
ステージに目をやるとキーボードだけでなく、パーカッションも用意されている。
ん?どうなってるの???首を捻りながら開演を待った。
「今日はめったに唄わへん唄の特集をしようとおもてます。
それを取材した京都新聞の人が『虫干しライヴですね』といわはったんやけど…(笑)」
そういう挨拶から2夜目のライヴが開演した。
『95ホン以上出せない大阪城野外音楽堂』 1曲20分にもなる大作。 ♪好きな時に 好きな唄を 好きなように 唄いたい♪ 続いて『さらば愛しき大地』 同じ題名の映画を見て作られたそうだ。 最初は『シャブには歯がたたぬ』という題名だったらしいけれど 映画製作者の許可がでて、映画と同じ題名に。 長い映画を短い1曲によくまとめたね、と言われたそう。 |
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ちょっと皮肉を込めて? 『赤白ペアのセーターを着て』 |
歌詞カードが低くて見難かったようで 「ちょっと最近…(笑)」と言いつつ、譜面台を上げて 『公州(クォンジュ)』という韓国の町を唄った 旅情たっぷりの曲が始まる。 どこか『ギターは友達』のフレーズとだぶる。 ♪水溜りに写る電灯の明かり ♪すぐ隣に住んでいるのに いつ会える 2人の男に出会って その内の1人に絡まれ、1人がとりなしてくれたという歌詞がでてくる。 それは本当の話で 絡んだ方の1人が翌日に徴兵されることが決まっていた、と しみじみ語られた。 1970年秋に作られたという『土曜の夜には何かがおこると』 MAPという不良ばかりがいた(!)今はなき懐かしいお店の唄。 |
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ドクター兼松さんのシンセサイザーが加わって 『恐ろしい夢』 シンセサイザーの音がまとわりつくように響く。 今日のめったに唄わへん唄の中で 5曲、生で聴いたことがある人には…仲さんのギターを 6曲、生で聴いたことがある人には…仲さんの右手を(??) 7曲、生で聴いたことがある人には…敬明さんを 8曲、生で聴いたことがある人には…永見さんのドラムを プレゼントします、と勇造さん。 それを聞いた仲さんが マジで「困ります!」と客席から声を上げられた。(笑) さ、がんばろっ!(^Q^)/^ |
ステージ横の微妙な位置の客席で永見さんが控えてはった。 その上、ステージにはパーカッションが備えてある。 永見さん、出はるんと違う? ずっと気になっていたら…やっぱり。(^-^) 『彼女は電気ボイコッター』で永見さんも参加。 手前の赤いところを叩くと 木魚のようなひょうきんな音がポコッと出て なんだかすごく可愛いひと揃え。(笑) |
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中原中也が好きで1970年春に作られた 『私の上に降る雪は』 ちなみに、ドクター兼松さんは その頃まだ2歳そこそこだったとか。えっ!?(@_@) |
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続いて『流れは激しく』 ドクター兼松さんはピアニカからシンセサイザーに… 左手が跳ねるようなタッチで、右手はたっぷり唄う。 柔らかいシンセサイザーの音に、印象的にギターが絡まる。 ちょうど、なだらかな草原に足跡を残すように… 一瞬だったけれど ドクター兼松さんの投げだされた左足が 前のアンプからにょきっと出た。 残念ながらシャッターチャンスを逃したけれど この後演奏された『ジャン・ギャバン』のピアノの時に 素足であることを確認。(笑) ↑この辺りに足出現! ↑これは勇造さんの足元 |
ここから、永見さん、敬明さん、仲さんも参加して 『Dock of the Bay』 仲さんのギターが見当たらなかったから 演奏されないのかなって思っていたら 垂れ幕のうしろから出してきはった。 隠してあったんや〜!(笑) みんな、さっきまでそ知らぬ顔をしてはったのに 最初から出番は決まってたみたい。 そりゃそうだよね。これだけのメンバーが揃っていて 客席に座ったままのはずがない。 でも、みんな役者〜!(笑) |
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『夜よ光れ』 CDとは全然違うアレンジ。 敬明さんのハープが怪しく響く。 曲がものすごく色っぽい。 まさに光っているよう。 |
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『恋はトゥクトゥクに乗って』 軽やかに跳ねる。 最後にドクター兼松さん(ピアニカ)と2人で 『双ケ岡で鹿を見た』 勇造さんが自宅近くを散歩された時に鹿と出会ったときの唄。 ♪おはよう おはよう 可愛い目 ♪おはよう おはよう 怖がらないで ♪こんな小さな林の中で ♪どんな風に お前は暮しているの 双ケ岡という場所は時々通る。 ほんまにあんなところに鹿がいるんやねえ… |
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これがあの『ヒロシマ』だったのか… 「弱冠17歳であんな詩を書いてたんだ。 やはり生まれながらの詩人やったんやね。 歌うために生まれてきた人やったんや。」と言った人がいた。 すすり泣いていた人がいた。 勇造さんのルーツを見たように思う。胸が熱くなる唄だった。 『久しぶりにいい夜だね』でコーラスを一緒に唄い シーンとなった会場が再び動き出す。 |
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まだ何か演奏しはりそうな気配なのに 肩からギターをはずさはった。 でも、首にはまだハーモニカが… ん?どうなってるの?(@_@) そう思ったときに勇造さんの口から出た言葉 「ピアノを弾きます…」 会場がどよめいた。みんな不意打ちを食らってしまった。 私も完全に不意を突かれた。 きっと大きな声で「え〜っ?!」と叫んだと思う。 「うそ〜っ?!」と畳み掛けたかもしれない。^^;) それぐらい、足元をすくわれた。 ピアノの前に腰掛けてゆっくりと始まったのは 『11時の鐘』 ピアノだけかと思ったら、ハープも吹きながら唄わはった。 駈けよって真横で見たい、聴きたいという思いが湧き上がる一方で 足は一歩も動かなかった。 瞬きもしてなかったんじゃないかと思うほど まさに食い入るように見ていた、聴いていた。 ものすごく新鮮で、ものすごく幸せな気分だった。 横に回って写真を撮っている人が何人かいたようだ。 どこかでその写真が見れたら嬉しいんだけど…(切なる願い) |
レポって「文字」で表現せんとアカンのやけど
でも、表現できひんこともある…よね。
今回のライヴで受けた印象がまさにそれ。
「いいライヴやった」「楽しかった」そんな言葉しかでてこない自分が情けない。
勇造さんの漕ぐ拾得という舟に乗って、みんなが同じ波に漂い、同じ空気を吸った…そんな感じ。
勇造さんを始めとするみなさんが舞台で演じるものに
私達は息をのんで「見逃すまい」と集中した。
揺れた、手拍子した、笑った、ちょっと泣いた…いろんなものが一杯詰まっていた。
誰もが幸せな気分になって楽しんだ。
1日目を終えて、椅子に腰掛け一息つかれた勇造さんの口から出た言葉は
「あ〜音楽ってええね〜!」
心底そう思っておられる、晴れ晴れとした顔だった。
空気や水と違って、音楽って別に生きる為に絶対に必要なものではない。
でも、楽しく生きる為には必要やね…そう聞こえた。
自分の体の中にある淀んだものが、する〜っと通って感度がよくなったような気がする。
音楽ってこうやって楽しむねんで、そうしたら人生も楽しくなるで、そう教えてもらっているような気がした。
一口に30年と言っても、それは想像もできない道のり。
でも、それを無駄にせずに正直に生きてきたという姿がそこにあった。
また次の30年に向けての一歩となる今回のライヴ。
それは予想通り、とても暖かく楽しく幸せな一歩になった。
これからの30年、きっと唄い続けて欲しい。ずっと元気でいて欲しい。
そして、できれば私も長生きして、その時客席にいられたら、と思う。
勇造さん、お誕生日おめでとうございます!