田中直子展 《豊田勇造「樹」を歌う》 2018年5月16日 |
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人の営みよりもずっと永く世の中を見続けている樹を切るということに 心痛めておられた田中直子さんと 大きな祭の後を歌った勇造さんが繋がった。 田中直子さんの力強いエネルギーに満ちた樹の中に 勇造さんの歌と共通するものがあった。 そんな二人の思いが重なったライブが 三条寺町のギャラリーヒルゲートで行われた。 ここは2012年に「二人の絵描きさん」に歌われている 丸木夫妻の絵を飾られたときにも 勇造さんはその絵の前で歌われた場所。 |
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まずは勇造ブルーズでご挨拶。 そして自分の記憶の中にある一番古い樹ですと 再会を。 ここにはざくろの樹が出てくる。 |
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小川先生にレインツリーをお手伝いいただいて ヤンゴンの町に今日も雨が降るを。 この中には椰子の葉が登場する。 そういえば、田中直子さんに初めてお会いしたのは 他でもない、春のH&Kでのライブ会場でだった。 小川先生のことを紹介しつつ、お茶目に 次は川シリーズで…(笑) そういえば川にまつわる歌もいろいろあるよね。 |
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京都で樹と言えばこの歌。 そんなんやない 声を合わせてエコーをかける。 久しぶりに聴く田中一村 最後の田中一村は もう一度歌い直して 田中直子〜♪ |
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ここで、田中直子さんとの対談。 まずはなぜ「樹」なのか… 田中直子さんは幼少期、1人で遊ぶことの好きなお子さんだったようで 樹が友達だったんだそうな。 そこですかさず勇造さん。僕はギターが友達やったんですよ!(笑) |
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外にいること、樹が自分の家だったという田中直子さん。 思い出深い木蓮の樹があったという。 団地に引っ越し、それはつまり雑木林を切り開いたところにあり 体育館が建ってその木蓮の樹が倒され ゴルフ場が出来てグミの樹が無くなった。 そういう人間の営みの繰り返しの中、樹に思いを馳せて行かれる。 沖縄では探検部に入ってあちこち訪れ、自然の豊かさ、牛のいる景色に心癒され 同時に自分たちの生活の中で無くしたものを感じるようになったという。 人はなぜ同じ過ちを繰り返すのか。 そんな思いで描かれた絵、歌。 絵を描かれるときに、何もかも全てを描ききらずに、それぞれの想像力にゆだねる余地を残しておきたいということ。 それは勇造さんも同じ。 何もかも説明して歌わなくても、そこにある一言で世界が広がるような 絵の中に、歌の中に、普遍性を持たせること、そんな関わり方、距離感がお二人は似ていた。 |
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初めて聴く一本の樹の歌 土田さんのソングリストにも載ってない。 もしかしてめちゃめちゃレアな曲を聴いたのかな。 そしてやはり歌わずにおれない 二人の絵描きさん けど…これに樹が出て来たかな?はて? と思っていたら 丸木の木です!って!やられた!(笑) 田中直子さんは沖縄で、僕はタイで 本当の豊かさって何かなって、場所からも人からも教わりました ブン・ミーが始まる。 この歌にはねむの木が出てきた。 |
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アンコールでもまだまだ樹の歌はある。 明るく目の前が開けるような マンゴーシャワー・ラブレター そして、絶対に歌われるだろうと思っていた ホセが植えが木に雨が降っている |
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通常は勇造さんがテーマを決めてライブを構成されると想像するけれど こうして先にテーマのある時は、「樹」というキーワードから探っていかれ それは同じものを見ていても、歌っていても 視点が変わって勇造さん自身も面白いんじゃないだろうか。 聴いている私も、キーワードがあることで、ライブの印象が随分違うように思ったし あたかも、同じ景色を違う窓から眺めるような 聴きなれた歌の中にある風景が、更に浮き出てきたように思う。 樹が立っているのをみると、人が立っているのと同じように見える、と勇造さん。 枝を、根を伸ばした横の樹同士が、なにか語り合っているように見える、と田中直子さん。 そこに紛れもない「生命力」があるから。 与えられた場所で根を生やし、葉を付け花を咲かせ実を実らせる その静かな姿は尊く気高い。 だからこそ、樹の過ごしてきた年月を大事にしたいと思ったライブとなった。 なんだか、都会の中にいるのに、力強い絵と歌によって体が深呼吸したようで 気持ちよかったです。 |