2018/3/24 会場マンションの入り口に貼られていた案内。 「フォークの元祖」って表現にニヤリ。(笑) |
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御年80才になられる小川先生は 言わずと知れた、勇造さんの中・高校時代の英語の先生。 今年でライブも19回目になりました |
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タイから帰国しての初めてのライブはいつもこの場所、そして春。 体から嬉しさがルンルンするようなもう春かなでライブの幕開け。 一番前に陣取るのは、他でもないワタルくん、小川先生&大石さんのお孫さん。 数年前に一緒にタイに行って以来、ちょっと仲良し(と思っているのは私だけか?) 黒々とした頭のつむじを見ただけで、彼だとわかる。(笑) 実際の彼はとてもシャイ。 自分から話しかけることはない。 その彼がかぶりつきの席に陣取り、勇造さんを見つめる。 正確には勇造さんの指元を見ている。 なんだか、気持ちがまっすぐでいいなあ… もしかして君も、まっすぐに曲がりそう?(笑) ちょっと心もとない口笛吹きながらうぐいすが鳴いたよ ♪今年は厄年 数えの二十五♪ のところで、思わずくすっとしてしまったら 45年前の歌です…と自白された。(笑) 20日に帰国しました。 2か月間のタイから帰って、ツアーの始まりはH&K。 いつも同じように同じ場所で歌を聴いてもらえることが 最近ものすごく嬉しいです。 勇造ブルーズで自己紹介。 ここからは去年ここでライブをした後でできた曲を… ヤンゴンの街に今日も雨が降る ミャンマーに行っていたのですが 豆が好きで、豆を食べるとその国の状態がわかるんです。 ビルマの豆は旨いって、タイに戻るとそう思うし 日本に帰ってくるとタイの豆が…(笑) 自分なりの答えはあるけど、言わんとく。(笑) 豆で国の状態がわかるなんて、初めて聞いた。 勇造さんが豆好きであることも、初めて聞いた。(笑) 初めて聴く歌、改心 思わず、誰が?って言ってしまったけど 勇造さんでも「私」でもなく オーヘンリーの小説を歌にしたもの。 人情味あふれるストーリーが繰り広げられる。 なるほどって思って聴いた。 ただ、わたし的には、題名がちょっと息苦しいかな。(笑) 更に新曲黒川旅館 直前の勇造HPのBBSで、黒川旅館の話題が投稿されていて 今一つよくわかってなかったけれど この歌を聴いて納得。 登呂のライブの際に泊まる黒川旅館。 いつも同じ部屋を用意してくれ 残ったオカズを持たせてくれたという(歌より)黒川旅館が閉館。 その寂しい気持ちと、旅館のお仕事があって今まではライブに来てもらえなかった女将さんに 今年のライブには来てもらえそうということで 本人の前で歌いたいんです ♪海の傍にあるのに 黒川旅館♪ というフレーズに思わずくすくすと笑ってしまった。 更に新曲は続く。 映画で観たという瀬長亀次郎に感動して作られた そのものずばりの瀬長亀次郎 勇造さんの人物像を浮き彫りにした歌はいい。 田中一村、鶴見俊輔、お兄さん、保育園の先生、小川先生…その人の特徴をうまくとらえて ど真ん中ではなく、周辺から描いていく。 静かに寄り添うように輪郭を描いていくスタイルは 聴いているものを穏やかな幸せに導いてくれる。 |
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カンチが呼ばれて、ティーンチャップという鐘を渡されて 一緒にホックモンクルングを。 踊りながら賑やかに1部は終わった。 |
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2部の最初は、ワタルくんとそのお母さんが登場し、「涙そうそう」を演奏。 ワタルくんがクラシックギターを弾き、お母さんは歌と手話。 このお母さんがユニークでね。(笑) 足置きの台もつかって、なかなかのポーズ。 ギターを習っているらしく 1部でかぶりつきで勇造さんを見ていたのも納得できる。 |
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ワタルくんとお母さんの熱演のあと こういうののあとはやりにくいんです(笑) ないないブルーズ |
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今日ここに来てびっくりしたんですが 受付にいらした方が、カントリーウェスタンの大御所の ドン佐野さんの娘さんだったということがわかりまして… ということで始まったのは ハンク・ウィリアムスを聞きながら |
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80才になってお店をやめられたお兄さん。 でも、周りに必要とされれば、それに今も応えておられる。 この2月3日の節分にも、イワシを焼いていて体調を崩され その知らせがラオスにいる勇造さんに届き 一時心配されたものの、お元気になられたとか。 よかった〜! 70才の円山音楽堂コンサートが今年だと勘違いされていたお兄さんは 「ゴミ袋は一杯用意してあるしな」と言われたそう。(笑) そうそう…60才のコンサートのときは 車にゴミ袋を一杯詰め込んで、お兄さんのお店まで運んで処分をお願いし その時みんなに「おだちん」にジュースを御馳走してくださった。 なんとも憎めない愛すべきお兄さんの歌一番上の兄 そして大文字 60才の円山音楽堂コンサートの時に 会場の隅で立ったままひっそりと聴いておられたお兄さんの姿を思い出す。 今まで一度も「歌うたい」という勇造さんの生き方を認めてくれなかったお兄さんが あの日に初めて勇造さんを認めてくれたって 勇造さんが神妙な顔をして話してくれはった。 あの時は私までうるっと来た。 勇造さんのことをずっと心配しながら見守っておられた気持ちが推し量られる。 兄弟やなあって思う。 |
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そのままアンコールに突入。 最初は、小川先生の歌で「カローミオベン」カンツォーネ。 高校時代に習った記憶が蘇って、さわりは私も歌える。 意味は全然わからないけれど。(笑) 今は音楽のデリバリーのボランティアを月に3.4回されているという。 小川先生はいつも好奇心が一杯。 それが若さの秘訣。 そしてそれを神妙に聴いているのは、勇造さんと、同じく小川先生に習ったという後輩の方。 姿勢を正している、この2ショットはなかなか微笑ましい。(笑) 小川先生のチョークが飛ぶ話に花が咲いていた。 どこまで行っても、先生と生徒だけれど こんな再会は「あの時」考えることもできなかったはず。 歌っていればこそ…やね。 小川先生の歌が終わって勇造さんがやりにくそうに登場されたとき 「勇造さんもこれくらい歌えたらええのに」とお客さん。おおっ。 「僕もそう思ってた」と勇造さんが返すと 「勇造はギターは上手いんやけどな…」と小川先生。おおおっ。 目を丸くしながらも、その軽妙な会話に笑った。 そして始まった小川先生 最後はしっとり桜吹雪 この歌を聴くと「ちょっと勇造さん、何があったんですか?」って、聞いてみたくなる…でしょ?(笑) ネックを叩いてしっとり静かに曲は終わった。 |
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会場近くのお寺の駐車場に車を停めると、そこには見事なしだれ桜が咲き乱れていた。 今更ながらだけれど、人の繋がりは不思議なものだと思う。 まさか教え子のライブを19年もやるなんて さすがの小川先生でも、そんな絵は描けていなかっただろう。 一緒にタイに旅行に行かれたこともある。 これも通常考えられない。 歌を作る生徒と、歌を作ってもらえる先生。 川が再び交わった。 そしてその先生がライブの最後のあいさつで、自分の命ある限りこのライブを続けると言われた。 そんなこと、易々とは言えない。 どちらも、なんて幸せなことなんやろ。 勇造さんがお兄さんの事を話されているときや、お兄さんの歌を歌われるとき 勇造さんは間違いなく愛されて育ってこられたと感じる。 それはつまり、勇造さん自身も愛することにためらいがないということ、疑いがないということ。 昔、ある知り合いが私に言った。 「親に愛されているかどうかが確信がもてない」と。 その言葉に私は驚愕した。 親に愛されているかどうか?って? 確信もなにも、そんなことは当たり前だと思っていたし どうやって愛せばいいかなんていうHowToも、考えたこともなかった。 でもそれは自分が無償の愛情を受け取ってきて、それを「私」が覚えているからこそ。 川でおぼれていたら、親は命を投げてでも助けれくれる。 そんな話はしたこともないけれど、何故だかそういう確信はあるし 肌感覚でそう思えることに親に感謝している。 勇造さんも日々愛されて育っておられるから 「慈愛」にも近い愛情ある歌が作れるんだと思う。 勇造さんはよく言われる。「僕の歌はみんなラブソングや」って。 愛されているからこそできる歌、だからみんなラブソング。 ライブのあと、車座になって残った人達みんなで話した。 私は勇造さんに促されて東北の話をした。 カンチは歌った。 いろんな意見を発し、自由に語り合える、ライブハウスでは叶わない、この場ならではの打ち上げとなったことを 勇造さんも喜んでおられた。 さあ、桜も咲き始めたし、帰国後本格的に始動される勇造さん。 歌の力を信じて今年も聴かせてもらいます。 伝えたいこと、歌にしてください。 ちゃんと受け取りたいと思っています。 |