勇造 旅を歌う
BASS 山田晴三
at 集酉楽(しゅうゆうらく)・楽々ホール
2014/1/18
こんな時代やからこそ勇造さんを…という
サカタニさんのご挨拶でライブは始まる。
今日は「旅の歌」特集。
まずは1973年秋田に行ったときの歌と地酒松風 |
|
|
プレイガイドジャーナルの編集をされていた村元さんに誘われて 1974年にバークレイでいろいろな人達と過ごしたときに出来た歌、ケーブルカーが着いて折り返すあたり ちょうどオイルショックの時で、日本では手に入らなかった「紙」 アメリカではホットドック一個にも沢山の紙が付いてくることに驚いたという。 そして1985年、ファンクラブ会長土田さんと出会ったときの歌会えてよかった これは秋田に行ったときに聴いたことがある。 ひたひたと勇造さんの愛情がにじみ出た歌歌だ。 |
||
ここで晴三さんが加わる。 津の人からもらったというみどりのステッカーからできた歌。 本当は死んだ男の残したものは…という題にしたかったそうだけれど その歌はすでにあるので、みどりのステッカーという名前が付いた。 普段バンドでは奥でリズムを刻んでおられる晴三さんを ここでは十分楽しめる。 |
||
豊田亭晴三です! そんなお茶目の紹介から、晴三さんのソロコーナー。 ベース1本で歌う大文字は、勇造さんのそれを少しアレンジして しみじみと大人の味。 手作りリンバでI Shall Be Released そして勇造さんの曲の中で一番の名曲だと雲遊天下 会場を走り抜けはった。(笑) |
||
2部のゲストは、近江八幡ライブでお馴染みだという マンドリンのしんぺいさんと再会 |
|
|
高山病ブルーズではみんなで「は〜は〜は〜」って 頼りない声を合わせる。(笑) 1983年1月、タイとマレーシアの国境あたり、ユダバルを旅していたときに 見知らぬ人から声を掛けられ 若手実業家のパーティに滑り込んだ時 彼らが日本の歌と言って歌ったものの再現。 それはまるで演歌のようで ♪味の素 日産 カワサキ スズキ 資生堂 カネボウ トヨタ ホンダ♪ と 日本の企業名の羅列の歌だった。(笑) 初めて韓国に行ったときに作ったというコンジュ 韓国人2人と酒を酌み交わしていた時 1人が日本について絡んできて、もう1人がそれをとりなしてくれたそうな。 聞けばその絡んで来た方の人は、明日から兵役に就くという。 |
||
今日はピアニストも来てるし… そんなアナウンスを始めにしてはったけど それらしい人はいはらへんし…はて?と思っていたら それは勇造さんのことやった。 ピアノの横に晴三さんも腰かけてアイリメンバーユー 勇造さんのピアノの、独特の重みのあるタッチが好き。 |
||
サカタニさんオンステージで、みんなで500マイル。 なかなか役者!(笑) |
||
そして走れアルマジロで会場は揺れ始め 最後はみんなでグルグル会場を踊りまわった。 その光景はまるでタイのライブの最後を思い出す。 息が切れた。(笑) 場を鎮めるように チャオプラヤ河に抱かれて |
||
ベースで奥行がでた花の都ペシャワール いつものシーンとした静けさの中で 晴三さんのベースがドラマティック。 曲が動いたと思う。 |
||
最後は海の始まり 改めて歌詞をゆっくり味わってみて この曲は歌詞が素晴らしいと再認識した。 勇造さんは詩人やわ… また来年もサカタニさんで会いましょう…! |
||
この日、カンチの中国出張帰国日。 関空から今着いたという電話が入って、今日のライブに行こうという。 え゛?時刻は午後4時前。 ライブは6時半から…間に合うの? とにかく、取るものとりあえず状態で慌てて用意し カンチを拾って東山七条サカタニさんに滑り込む。 ということで、一番後ろの暗がりの席で 文字は書いても見えず、セットリストだけで、あとは記憶を辿ってみたところ。 それでなくともあやふやなのに 最後は踊るのに忙しくて、レポはほっ散らかしてしまったとさ。(笑) でも、行くつもりでなかったライブだったので 拾い物をしたようで、たまにはこんな突然も楽しいかな。)^o^( |