2005/5/15 |
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最初にケメコはうすを訪れたのは 3年前の勇造さんのライヴの時。 その直後から、カンチは本格的に唄うようになった。 3年という年月は早いようで、すでに遠い。 今や勝手知ったる場所となったケメコはうす。 京の町家が目に馴染む。 今日のライブのテーマは『京都にちなんだ唄』 勇造さん、澤田さん、カンチとなれば 一杯出てきそうだなと期待しながら 受付の用意をする。 楽屋になっている2階からは 勇造さんとカンチの楽しそうな笑い声が響いてくる。 町家は人が近い。 |
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最初は主催者澤田さんが、デビューまでの経緯と その時の懐かしい曲を… 久し振りに「ケメコの唄」を聴いたと喜ぶ人が客席に。 横にある赤いヘルメットが、時代を物語っている。 ここにもまた、歴史の重み。 |
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海のはじまり ハイネックの綺麗なブルーのTシャツで現れた勇造さん。 ギターを耳元につけ、音を直に聞きながら… これもPAのないよさか。 最後は激しくひっかいて… 最初からそんなに弾いたら、弦が切れちゃうやんと 少しヒヤヒヤしたひとコマ。 |
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背中 ネックのところを激しくかき鳴らす。 チューニングに少し苦労されているよう。 でも、気楽な立場から言えば チューニングの様子を見るのもまた興味深い。 まさにじゃじゃ馬をなだめるよう… |
♪生まれは京都のど真ん中…自己紹介が始まる。 あるとき2階で仲間とギターを弾いていたら 隣家の人がふいに窓に現れて 「ゆうちゃん、そろそろギター止めてくれへんかな?」と 言われたそうな。 それだけ隣が近かったという話。 声も物音もみんな聞こえたらしい。 その距離が好きだったという勇造さん。 幼稚園の時に好きだった女の子。 結婚するつもりだったらしい。(笑) でも思春期に入って意識しだすと だんだん話ができなくなって、そのまま… ある日、ライブ会場に彼女の姿を発見。 それもトイレに行く途中の狭い通路ですれ違ったので 今こそ聞かねばと 「俺ら、なんで結婚できひんかったんかな?」って 唐突に尋ねたら 「近すぎたんやわ」という答が返って来たらしい。 彼女もなかなかのもんやね…(笑) そんなことを思い出して話しながら ふと「俺、今日はようしゃべるなあ…」と苦笑い。 「もうこれで終わりましょか?」やって! まだ2曲しかうとてはらへんのに…(笑) 町家の持つものが勇造さんを昔に連れていってる。 雄弁にしている。素直にしている。 |
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ハンクウィリアムスを聴きながら ケメコはうすと同じような造りの家で育ったということで ここで唄うにふさわしい選曲。 そんなんやない 澤田さんと勇造さんの出会いは 京都の御池通りの欅問題がきっかけ。 ロクでもない話だし 御池通りを通る度に、無くなった欅が惜しいと思うけれど 唯一こんな出会いがあったのはよかったと言える。 「本当にほしいのは…というフレーズに 気持ちとリズムが入りました」と勇造さん。 階段から心地よい風が吹きぬける。 |
「京都から少しはずれるけれど 澤田さんからのリクエストなので…」と 雲遊天下 玄関を開けっぱなしにしていたので 通る風が気持ち良い。 雲遊天下はそんな穏やかな空気の似合う唄だ。 澤田さんが横でギターを弾いておられた。 唇かみしめて 細かいたくさんのストロークが続き ドンドンという足踏みが響く。 リクエストした2曲を聴いて 「この2曲を聴くと、涙が出るんですよ」と澤田さん。 それぞれに琴線に触れるものがあるんだろうな。 |
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2部 2部の最初、先ずはカンチが3曲。 「唄えよカンチ」「上海」「おっさんのブルーズ」 久し振りに唄う「上海」を初めて聴いた勇造さんが 受付にいる私の横で 「こんな唄もあるんや…」と正座しておられたのが印象的。 |
どういうワケかお客さんからリクエストを頂いて 予定外に「おばはんのブルーズ」を唄うことに。 これにはオレンジのTシャツに着替えた勇造さんが 横でギターをつけてくれはる。 なんという贅沢な光景。(^-^) |
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瓦屋根続く細い道 「2、3年に一度しか唄わへんのやけど… 京都弁以外のイントネーションで唄うと通じひんのや」、と言いながら。 ♪瓦屋根続く細い道 繊維工場が ひとつ またひとつ 消え… つい昨日まで強がっていた人が 体を横たえる毎日 年老いて行く 人も町も それが生命あるものの定め 深い記憶に刻み込まれた これが俺のふるさと♪ 京都で育った人にしか唄えない曲。 ひたひたとした故郷への愛情を感じる。 |
こんな表情が見られるのも 場所のもつ力か… もしも鴨川がウヰスキーなら 「金のない時は、この唄をうとて酔います」 それは呑み過ぎ!(笑) |
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「撃つで!」とサラ金ブルーズ 一言だけ京都の入っている唄。 ♪都ホテルに部屋取って ルームサービス シャンペン抜いて… ちなみに都ホテルと言えば、京都で一番のホテル。 |
友部君 磔磔という京都のライブハウスに 友部さんの唄を聞きに行った時の曲。 歌詞の中に、ちょっと公では唄いにくい箇所があって これもまた久し振り。 こういう唄をうたえるのは この場所が心許せるからだろうと思う。 |
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ギターのカッティングが歯切れよい。 それを生んでいる、バネの効いた精悍な右手。 |
チャオプラヤ河に抱かれて タイにいた時に京都を思って作られた曲。 ポコポコというイントロから ゆっくりとした河の流れをイメージするメロディーに続く。 |
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スイートホーム京都 手拍子をしながら踊るように… ♪ここは君の家 アジアの片隅 スイートホーム ケメコはうす 鴨居に手が届く。 |
高野グランドマンションのブルーズ 静かで深くて固く締まったブルーズ。そんな印象。 芯のあるギターの音を自在に操る勇造さん。 それに堪能する私。 ビーンというギブソンらしい 弦のびびる音に耳を澄ませて曲が終わる。 |
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大文字 先日見た、京大農学部グラウンドを思い出す。 あの場所の背には、確かに大文字が浮き出ていた。 澤田さんとカンチが一緒に声を合わせる。 ♪さあ もういっぺん さあ もういっぺん あの時あの場所で誓ったこと。 30年以上続けてきて 今ここに、まあるく実っている。 |
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こんな格好して立ってた〜♪ |
ジェフ・ベックが来なかった雨の円山音楽堂 「どうしてもこの曲を逃したくないので…」と ギターをひっかく。 勇造さんのギターは タフでなくっちゃね。 もう弦を切ってもいいといわんばかりの ほんとにラストに向かっている勢い。 |
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「家が喜んでる。親父も母親も喜んでる。」という澤田さんに 「うちのおとうちゃんもおかあちゃんも、ここら辺に来て聞いているように思う」と天井を指す勇造さん。 決して碁盤の目ではないけれど、カンチの生家もまた、京都の匂いのする家。 3人3様の歴史がケメコはうすで1つになっていた。 |
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打ち上げの席で、また勇造さんも澤田さんもカンチも唄う。ギターを弾く。 そうこうして盛りあがっているうちに、玄関に誰やら人の気配。 応対に出る間もなく、つかつかと上がって来られたのは 一人のお坊さんだった。 誰の知り合いでもない。ただの通りすがりのお坊さん。 |
よくよく聞いてみると 昔々、勇造さんの唄を聴いたことがあるんだとか。 ミャンマー(ビルマ)に修行に行って、京都に帰って来て たまたまケメコはうすの前を歩いていたら 勇造さんの名前の入ったライブの看板を見つけ 懐かしくなって突然入ってこられたという。 思わぬ出会いに勇造さんも「ポチャナ」を唄われた。 目を瞑って思いを馳せるように それをじっと聴いておられたお坊さん。 その横顔がものすごく優しい。 静かな喜びに満ちているといえばいいのか。 勇造さんも柔和な笑顔。 この不思議な再会。 流れている30年の時間。 勇造さんは知らなかった。 でもお坊さんは勇造さんの唄を忘れていなかった。 30数年間唄い続けてきたことが こうして思わぬところで実を結び 喜びとなって周りを包んだ。 それもこれも「続けてきた」からこそ。 まさに一朝一夕にはできない足跡が 勇造さんの後ろに繋がっているのを感じて 胸が熱くなった。 ♪さあ もういっぺん さあ もういっぺん…♪ そうやって唄い続けてきたことが こうして思わぬ出会いをもたらした。 |
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人それぞれにある歴史、思い出…いろんな景色が一緒になって浮かんで来る。 何故だろう。子供の頃の景色は、温かくいとおしい。 そこには家があった。家族がいた。がやがやと音がした。 京の町家…一時は住みにくさばかりが強調されたけれど 今改めて、その良さを感じている。何より人が近い。 できるなら住みたいと思うほど。 ともすれば人との距離が遠い毎日だから 余計に物理的にも人恋しく、近づきたいと思うのかもしれない。 若い頃は反発もした。この町が嫌だと思うこともあった。 でも、今、私は京都という町がすごく好き。 勇造さんもきっとそうじゃないだろうか。 生まれ育ったところは、ほっこりと人を抱いてくれる。 速い時間の流れの中で、ちょっと一息つかせてくれるところ。 忘れていたことを思い起こさせてくれる場所、ケメコはうす。 またここで、飾らない勇造さんが聴けたらと思う。 なにしろ、まだまだ京都にちなんだ唄があるんやし…(^-^) 遠くから来てくださった方、忙しい時間を裂いて来てくださった方 そして自宅を開放して寛がせてくださった澤田さん…みなさんに、ありがとう! |