Yuzo Gallery Top  ◆2003

2003/11/20



昼の風景

  


清水寺、言わずとしれた京都の名刹。
243年ぶりに奥之院御本尊が御開帳された。
パンフレットには「生涯一度のご結縁(けちえん)」とある。
まさにそのご結縁があって、勇造さんが唄を奉納されることになった。
場所は清水の舞台で有名な本堂。
まるで夢のような企画…

生憎の小雨に滑りそうな足元を気にしながら
五条坂をゆっくりあがる。
この近くを高校、大学と7年間通ったのに、近くて余り行かなかった場所。
夜間拝観に合わせて、門前のお店も活気を帯びて
なんだか目に映るものが新鮮に見えた。
  


幽玄な門が灯りに照らされて闇の中に現れた。


私も気がはやっていたんだと思う。 
いつものライヴとは違う何か感じるものがあって 
朝も早くから目が覚めていた。 
案の定、夜8時からのライヴなのに 
夜間拝観受け付けの6時半にはもう着いていた。 
周りをゆっくり散策しつつ、本堂へと登っていく。 
 歩いていると建物が放つ『気』のようなものを感じた。 
 
本堂に辿りついても ライヴの気配はまだ全くない。 
ファンでは私が1番乗りだったかも… 

 いつも通り、お参りの人達が行き交っていた。 






本堂の横で、ライヴで知り合った人に思わぬ声を掛けてもらって
2人で奥之院御本尊御開帳を見に行くことにした。
御開帳された仏像は
華奢なようで、歴史を感じさせる凛とした姿で座っておられた。
その周りを囲む仏像も見事。
目が濡れたように光っている。そこだけ石なんだろうか。
「本物の目みたいやね」そう言いながら眺めた。
心の奥底を覗かれているような気分。










奥之院の前にいらした大黒さん。
なんとも言えないお顔に、見ているほうの心もなごむ。

そうこうしている内に本堂の中がザワザワしてきた。
準備が始まっている。マイクも立った。




濡れたような「豊田勇造」という文字が立てかけられた。
墨の色が力強く清々としていて、佇まいが美しい。
それを眺めていると、どこか誇らしく
通り過ぎて行く人に声を掛けたい気持ちにかられた。

そうこうしている内
奥のほうから勇造さんが出てきて準備をし始めはった。
あんな本堂の奥まったところから出てきはるなんて
ちょっと不思議な感じ。
前の清水の舞台には観光客が途切れず行き交う。
目前の開けた景色に、背には仏像。
勇造さん、緊張してはるんと違うやろか…そう思って軽く挨拶をしたら
にこやかな笑顔が返ってきた。


本堂に立てられたマイク

いつもならお賽銭をする土足の板間に
目にも鮮やかな緋毛氈がひかれ
そこに30cmほどの幅の細長い畳が
間隔を置いて並べられ、座席ができた。
一番前はマイクの足が触れるほどの距離。

どこに座ろうか、と思案したものの
知った顔があれば少しは緊張も緩むかな、なんて
勝手なファンの思い込みで
一番前に座ることにした。まさにかぶりつき!


ゴ〜〜〜〜ン!と大きなリンが鐘の音のように鳴った。お腹の底から響いてくる。いよいよライヴの始まり。
   



♪生まれは京都のどまんなか 新撰組は壬生の町…まずは自己紹介。


スイートホーム京都
ハンク・ウィリアムスを聞きながら
ワルツを踊ろう
アンコールへの道
雲遊天下
夢で会いたい
花の都/ペシャワール
満月


ライトに照らされて眩しいはずなのに
何故か目に優しい光。

 










「ここでどうしても唄いたいなあと思ってたのがあって…
 ラブソングやねんけど…」
そう言って始まった『ワルツを踊ろう』

仏像に思いを馳せて『アンコールへの道』









『雲遊天下』
勇造さんがお兄さん達に贈られた唄だというのを
初めて知った。
「この舞台から京都の街を見下ろして唄ったら
兄貴達にも届くかなって思て…」
お兄さんだけでなく
みんなにもきっと降り注いだに違いない、その気持ち。








「今日はいつものライヴより上品に行こと思てます」
という言葉に
観客から笑いがもれる。
「何しろ前に進んで唄ったら、舞台から落ちそうやし」って…
舞台はまさに空中に浮かんでいるかのように切り立っていて
眼下に京都の街の明かりがちらついている。









光の中に勇造さんの右手が同化した。




「花の都/ペシャワール」…圧巻だった。
きっと残響音がいいだろうとは予想していたものの
それ以上の音が返ってくる。
もうあれはギターを叩く音ではない。
山の奥から、コーンと聞こえてくるような錯覚。
きっと東山に反響しているんだろうな。
なんという音だろうっと思っていたら、勇造さんのギターが唸り出した。
え?もうこれから段々ミュートしていく箇所と違うの?
そんなに激しくなったらどうやって終わらはるの?

そんなことはお構いなしに激しいギターが飛び跳ねる。
周りから掛け声がかかる。
目が、ところ狭しと動く左手に釘づけになった。
ギターも勇造さんも一緒に唸っている。
そして、パッと顔を挙げて
「この曲でこんだけギターを弾くのは初めてやわ」とにっこり。
観客がやっとそこで息をしたように思った。
それからまた激しいギターが続く。また目が釘づけになる。

これだけ盛り上がったら、この曲はどうなってしまうんだろう?
そんな思いで、目を、耳を凝らしていたら
急にカクンと曲調が穏やかになった。
終わりに向かっている。そう感じさせる空気が漂った。

最後に手を振り下ろされた時、本堂に乾いた音がカーンと響いた。
その残響音…ここでしか味わえない音。
漆黒の天井の奥のほうまで
音が何重にもなって広がり縮まりまた広がり…
ゆっくり本堂を駆け巡った後、行き交う参拝客の中に吸い込まれていく。
これ以上のペシャワールを聞いたことがないように思う。
音が龍のように生きて登って、そして闇の中に出て行った。
ギターがギターでなく、打楽器でもなく…
そんなことを考えるなんて無意味だといわんばかりに
音を轟かせた。
音が生きものに変わり、そこに最後の波が響き渡った。


場所が場所だけに、いつものように時間を延ばすわけにはいかない。
カーンという素晴らしい残響音と共にライヴは終わった…けど、やっぱり観客は終わらない。
アンコールに『満月』…最後にみんなでゆっくり唄う。
そして、終わりを告げるリンのゴ〜〜〜ン♪という地から揺らぐような音と共に、今度こそライヴは終わった。



野外のライヴ…いろいろ素晴らしい場所があるんだろうけれど
今回のライヴは、勇造さんの言葉を借りれば「磁場」があったように思う。
霊気とでも言えばいいんだろうか。
外の舞台をぞろぞろと参拝客が行き交う。
横ではシャカシャカとおみくじを振る音もする。笑い声も聞こえる。
観光の為に訪れた人も、祈りの為に訪れた人も一緒にうごめいていて
そういう音が全部本堂に吸い込まれて、勇造さんの唄と同化していた。
全く邪魔にならない不思議な体験。

涙している若者がいたという。
仏さんがいてはる。全部吸い取ってくれはった。全部許してくれてはる。
そう思うと心がす〜っとした。
なんでもかんでも、生きてるものみんな「いっしょくた」でええやんか、って
そんな大らかな声がどこかで聞こえたようなライヴだった。

ここから出たかったという盆地の街、京都。
でも勇造さん、きっと今は京都に生まれてよかったなって思ってはるような気がする。
私もこの地に居てよかったと思った。
あることを全部認めて京都を見直すこと、それは自分を見直すことにも繋がるように感じた一夜だった。

いい秋を堪能させていただきました。おおきに。
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