Yuzo Gallery Top  2002

2002/9/4

れんげ草さんと行く予定をしていたライヴ。
南風楽天でマンマさんにも会えるはず、
と思っていたら、キスケさんから行くという連絡。
続いてDannyさんも行けそうだと連絡が入った。
無理だろうと思っていたカンチまでもが、仕事を早く終えて
ライヴ2曲目から南風楽天に滑り込んだ。
合宿、オフ会に続いての賑やかなメンバー。
勇造さんを楽しめる仲間が増えてうれしい。(^-^)

ライヴの前、顔を見るなり
「久し振り!」と手を上げて言ってくださった勇造さん。

そ、7月の七夕以来。思わず「お帰りなさい」と言った。
今日のライヴにテーマを設定されたらしく
「それを当てた人には30周年の手ぬぐいを差し上げます」とのこと。
「30周年のCDは?」って声を掛けたら
「それはアカン」と笑って答えられた。
テーマ…何やろ?
  



タイできっといい時間を過ごされたんだろうなと思わせるような
なんともいえない、ゆったりしたライヴの幕開け。
気持ちがほっこりしておられるのが感じられる。
今回はハミングバードがお供している。
いい艶をしていた。
1部

マンゴーシャワーラブレター
ポチャナ
満月
背中
エレクトリックシティ
はだしの唄うたい
大文字
ブルーズとお前に会った頃


今日は大西さんと。
「相変わらず大西くんは顔でギターを弾いています」
慌てて言い換えて「顔で【も】弾いてます」(笑)
そう…大西さんて気分がそのまま表情に豊かに出る演奏をされる。






もうすぐお誕生日の大西さんは26歳。
ってことは勇造さんの「半分」
「なんか自分の息子とやっているみたいで」とのこと。
それにしては勇造さんて若く見える〜!
倍には絶対に見えへん。
(^-^)




      


       

「タイでもHPを覗いてたんやけど
8月16日の大文字に、
僕の『大文字』をうとてくれてた人がいたみたいで…」

えっ!それってもしかして私の投稿じゃなかった??
カンチと一緒に今日は『大文字』を唄っていますって
勇造さんのHPのBBSに書いた。
まさか!?ってマンマさんの方を見るとにっこり頷いてはる。
やっぱりそうなん?
わ〜〜い!わい!もうそれだけで十分うれしかった。

きっと全国津々浦々で、たくさんの勇造ファンが
あの日にあの曲を口ずさんだんやろうね。
あの日に唄うと上手に唄えるように思うから不思議。(笑)





『大文字』は今度の10月5日のカンチライヴでも予定している曲。
それが聴けるなんて…なんてラッキーなんだろう。
カンチもすごく喜んでいる。心に染みる『大文字』だった。

2部

オールドマンブルーズ
振り返るには早すぎる
(ここで昔作られた曲をちょっと1曲)
ジャニスになれなかった女の話
ケーブルカーが着いており返すあたり
ジャナイカ・ジャマイカ
サマーンブルーズ(新曲)
海のはじまり
蝉しぐれ(1997/7/20作)





大西さんは指が綺麗。



『ケメコハウス』の主催者と。
「あの頃の唄はみんなコード進行が同じだった」
という笑い話。

このあとライヴ予定されている「ふう」のスタッフの方が見えていて
その中にお孫さんの出来た人がおられたこともあり
『オールドマンブルーズ』が始まった。

♪年をとるのも いいもんだ♪

この唄、何時聴いてもほっとする。
なんか、全てが「ま、ええか」って気分になるというか。(笑)
  



『ジャニスに…』のあたりでカンチが
「今日のテーマは夏や」と言い始めた。確かに…




ここで吉原リエさんというピアニカを吹く人が加わって
『ケーブルカーが着いており返すあたり』と
『ジャナイカ・ジャマイカ』の演奏。
搾るような音。突き抜けるような音。
自由自在で不思議な味がある。

去年11月のカラワン・コンサートでドラムを叩いていたサマーンが
勇造さんがタイにおられる間に亡くなったそうだ。
そのサマーンに贈る『サマーン・ブルーズ』…ばりんばりんのブルーズがなんとも心地よい。
追悼の唄というような湿っぽさが全くない。
この前の30周年の時の『LIGHTNIN HOPKINS』の時もつくづく思ったけれど
勇造さんにはやっぱりブルーズがよう似おてはる。
あのギター、リズム、よたり具合?がものすごく年期が入っていて渋い。





タイのお葬式の話をしてくださった。
お葬式でコンサートをやったんやって。
あちこちから有名なミュージシャンが来て
それを聞きに(見に)来る人で会場は2000人の人出になったそうな。
その内、それを目当てに屋台がでて、
果ては宝くじまで売り出されたとか。考えられない光景だ。
喪主であるサマーンの奥さんがうろうろしている。
その横に野良犬もうろうろしている。
この「ぼわん」とした感覚、勇造さんは好きだと言わはる。
「タイて僕におうてるなとおもた」とにっこりされた。
生きるも死ぬも、そして犬も人間も、みんな一緒。
そのおおらかさがいいんやろね。(^-^)
そんな空気の中で1ヶ月を過ごされたから
こういう雰囲気なんだな、って納得させるようなライヴだった。
勇造さんの体の中にタイが見え隠れしていた。



唇かみしめて
花の都ペシャワール
ギターが友達



ライヴの最後にテーマが「夏」であることが明かされた。
それを言い当てたカンチが見事、手ぬぐいを頂く。
「D-45もつけよか?!」と勇造さんが笑って一言。
これは勇造さんとカンチがいつもしている
勇造さんのマーティンD-45にまつわる裏話



  勇造さんの右手首は
  すごく力強いのにやわらかい。
  しなやかって感じ。
刃金のようなのに、しなっているというか。
妙にセクシー。



終わってからみんなで話していたら、勇造さんが横の席に座られた。
私は待ってましたとばかり、10月5日に南風楽天でやるカンチライヴのチラシを勇造さんに渡した。
ちょっと頑張って写真用の印画紙で刷ってきた。
『大文字』を唄わせて頂くことを話すと
「自分の唄を人がうとてくれるのはものすごくうれしい」と言って下さった。
何しろこの唄は勇造さんの原点であると同時に
全国の唄うたいにとっての原点とも言える唄。
この唄で多くの人が元気をもらっている。カンチもその一人。
「誰の影響を一番受けているかといえば、それは勇造さん以外にない」という。

盛りあがっているちゃぶ台の話をすると
お父さんがちゃぶ台をひっくり返された記憶があると話して下さった。
あの年代は鬱屈していたものがあったから、と。
お父さんには電信柱(木製)に括られたこともあるとか。(笑)
勇造さん、何しはってんろ?それが知りたい。(>_<)

昔話も少ししてくださった。
壬生寺の屋根に登ったこと。それも忍者の道具を使って屋根瓦に先を引っ掛けて
綱をよじ登ったこと、うまくやらないと時々瓦が落ちてきたこと。
お寺の境内で焚き火をしたら叱られたこと、その1週間後に放火があってちょっと疑われたこと…や〜ん!困る。^^;)
「とにかく悪さばっかりしてた」と悪びれずにおっしゃった。(笑)
なんか親近感覚える〜!(^-^)

そんな勇造さんの告白?に勇気づけられて?みんなもポツポツと告白し始めた。(笑)
「僕も一緒に留守番していた弟を柱に縛り付けて遊びに行ったことがある」とか
「おんぶしてお守していて、手まりをついた拍子に背中の妹が前にでんぐり返った」とか
みんないろいろやっている…
それが誰だかは♪本当のことは知らないけれど〜♪(笑)

勇造さんのライブは二度目というキスケさんは
何やら心に期すものがあったよう。
ライヴの前と後では、目が違ったように思う。カンチも同じ。
初めてのDannyさんはひたすら「プロやな」って感心してはった。
これでまたライヴを一緒に行ける人が増えたと思う。

この頃の私の周りの人間関係は不思議だ。
どこでどう繋がったかと思い返すと、そのキーワードは紛れもなく『勇造さん』
確かな人が芯になっているから
そこから生まれる人間関係も心から信頼できるものになっている。
今更ながら、勇造さんに感謝して、 ゆっくりとライヴの余韻にひたった。
なんかホッとした。
時々こうして「酸素」を一杯もらって、息を吹き返したい。


inserted by FC2 system